若手医師の提言
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  • 所属:鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院
  • 氏名:武田 憲夫 先生
  • 専門分野:脳神経外科
  • <経歴>
  • • 日本脳神経外科学会専門医
  • • 日本脳神経外科学会指導医
  • • 日本がん治療認定医
  • 昭和48年3月  横浜市立大学医学部医学科卒業
  • 昭和48年4月  新潟大学脳研究所脳神経外科入局
  • 昭和60年-平成7年 新潟大学 脳神経外科助教授
  • 平成4年-平成6年  カナダ モントリオール神経研究所(マギル大学)Research Associate 悪性脳腫瘍の化学療法の研究
  • 平成7年4月  山形県立中央病院 脳神経外科科長
  • 平成18年-平成24年  山形県立中央病院 副院長
  • 平成24年 至誠堂総合病院 脳神経外科
  • 平成25年4月  鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院 院長

医学研究のすすめ

昨今の医学は、専門化、分化がめまぐるしく進み、それぞれの分野で学会、研究会が立ち上がっている。私が専門にしている脳神経外科の分野でも、全国規模の脳神経外科関連学会、研究会だけでも優に20は超える。そしてその内の主立った会は、専門医、認定医、指導医制度を設けており、昨今の多くの若い医師は、その資格を取得すべく向上心を燃やし、当面の目標としている。まずは「経験」よりも「知識」を要求されるそれらの取得に若い医師が最初に取り組む目標となることは理解出来る。専門医、認定医の取得は医師個人の医療レベル向上のはじめの一歩であり、そこから経験を積み、更なる技術の習得に努め、実地修練を積み、より上のレベルの医師となる。自ら思うところの専門分野に狙いを定め、専門医、認定医を取得し、そこから医療を極めようとする動きは今の時流に合っているし、いま社会も専門医師の育成を求めている。医師は専門医を取得し、技術力を向上させることで医療人としての一つの責務を果たしたことになろう。今目の前の人の健康の維持と病気に医師としてきちんと正確に対処することは、医師として基本的な責務であるが、我々医療人の義務と責任はそれだけであろうか? 脳神経外科医として40年を過ごし、その間に専門医となり、曲がりなりにも研究生活を過ごし、学生の教育の一部を担った経験から、これからの若い医師達に、そのもう一つ先に進むことを勧めたい。医療の発展のためにも、医師としての人生の重みを増し充実させるためにも。題して「医学研究のすすめ」とした。

さて、話は突然変わるが、この度の東日本大震災は、2万人近くの死者行方不明者に加え、未だ深刻な状況から脱し得ない福島原子力発電所の事故までもたらした。犠牲者の中には、天災への準備や危機管理が成されていたはずの世界に冠たる文明国日本で、何でこの様なことになったのかと疑問と恐怖、怒りに打ち震え無念と身内への惜別の思いと共に亡くなって行った方も少なくないのではないかと思う。しかも、大津波や原子力発電所の事故を予測していたはずの行政を含めたその道の専門家が、危機対応への準備は「大丈夫」と言っていたにもかかわらず、である。そして、その後それら専門家から出た言葉は、「想定外」の自然現象が起こったため「仕方がない」と言うことで終わっており、どういうわけかそれ以上の責任の追及は、当時準備を計画し進めた科学者も行政、政府(当時は自民党時代だが)にもなされておらず、曖昧のままだ。

さて、もう一方の自然現象である、人の体、生命、病気への対応を生業(なりわい)としている我々医療人は、どうあるべきなのか? その社会に対する責任、義務はいかなるものであろうか? 今目の前にある病気の診断、治療、予防を今ある知識と技術を駆使して安全、確実に行うことは最優先しなければならない重要なことである。
一方、人の生命現象や病気に関しては、謎や未知なことが多く、地震や津波、台風、宇宙現象などのような自然の出来事以上に「想定外」の出来事がしばしば起こり得る。その「想定外」の出来事は、人類の複雑さを考えると、大地震や大津波のような数千年に1回どころでは無く、まれならず起きていると考えるべきであろう。医療人は現在の医療を安全確実に遂行することに力を入れることも重要であるが、生命の謎を解明し未来の医療の進歩発展にもその力を傾注し、「今は想定外」の現象解明にも持てる力を傾けるべきである。その為には、未知への挑戦、「研究のすすめ」を若い医師に促したい。幸い我々医師は、学生時代から人の身体における自然現象を学び、神秘さを目のあたりにし、命を慈しむ心を育んできている(はずである)。しかも、常に、患者さんを通して、謎と未知の部分を観察出来る立場にある。その知識と経験を人の体の未知の部分の解明に応用するハードルは、他の科学者より高くない。自らの技術、知識の習得、向上と共に、未来の医療の進歩への関わりを持つことにもう一方の情熱を燃やして欲しい。

研究を行う為には、「研究心」を持つことが大切である。一連の研究プロセスを、「起」、「承」、「転」、「結」になぞらえられると、先ず「起」は、「研究心」を持つことである。目の前に現れている様々な現象に疑問や興味を持ち、未知な点を見いだす。それには常に観察力と分析力、好奇心と探求心が必要である。そこで疑問な点、興味ある内容に巡り会ったら「承」に続く。「承」では、疑問点に関するこれまでの研究、文献を渉猟し勉強し、現時点での解明範囲を明確にする。そしておのれの新しい研究対象、研究目的をあぶりだす。研究に値すると判断したなら次に、実際の研究を行う「転」に続ける。課題を自分の考えで、方法で研究し、結果を出すまでがこのプロセスである。医療のみならず研究においても、独りよがりや独断、慢心は禁物である。その道のエキスパートがいれば積極的に教えを請う事も大切である。全て教えて貰えるかどうかは状況にもよるが、得るものが必ずあるし、教えを請う情熱は君をマイナスに評価させることはない。同じ方面の研究者と大いにディスカッションする。様々な情報を咀嚼し、そこから自分の研究にオリジナリティーを加えることが重要である。その結果、改めるべき事は改める勇気と柔軟性も大切である。一連の研究結果が出れば、いよいよ「結」となる。結果は必ずしも思っていたとおりにはならないこともあるし、そうならないことの方が多いと言っても良い。方法に誤りがなければ、出た結果は真の自然現象を表している。真摯に結果を分析し、結論を導き出す。その結果をまとめると共に発表し、世間、世界に自らの研究の意義を問う。大変だが最後の正念場である。結果に満足出来る場合もあるし、ネガティブデータのこともある。本当にネガティブデータであれば、それが重要な情報のこともあるし、ネガティブデータを検索することにより、ポジティブデータが見つかることもある。結果に満足できないときはそれが再び研究の種になることも少なくない。そしてそれが、その次の研究へと発展させられることがある。研究は継続することが重要である。新たな発見、治験があった場合、それで研究が終了、帰結することはあり得ない。必ず次の未知の扉が見えてくる。更なる未知の部分への開拓に向け、研究者は次の道筋を付け、自分が出来なければそれを次の研究者に引き継いで行って欲しい。

しっかりと自然現象の推移を観察し、科学的思考の元に分析すれば、自ずと自然の奥深さ、偉大さ、また、人間の力の限界を認識し、謙虚な心、自然を慈しむ心が培われ、自然への柔軟な対応力が養われる。また、結果が上手く出ないことに苦しみ、悩むプロセスが必ずつきまとうが、その悩みは自然の厳しさ、厳かさを自らに知らしめ、研究者に謙虚さや真摯さ優しさを育み、医療人としての大切な素養と懐の深さを育ててくれる試練と思って欲しい。それを乗り越えると、満足感と共に自然現象を自分の目で解明したという、自信と良い意味での達成感が出来てくる。ここで培われた科学的思考力、分析力は、たとえ時代や立場が変わっても、研究内容が進歩しても、病気や症状を科学的に分析し、病気や患者に対応する力がステップアップする。それは、何物にも代えがたい医師としての人生の宝となる。たとえば、昨今雨後の竹の子のように出てくる、製薬会社が出すRCTの内容の真贋と意味を見定める力にもなる。

医学、生命の計り知れない広大な現象の解明には、何時出るとも分からない天才の出現を待つのでは無く、出来るだけ広い範囲で、出来るだけ多くの分野で多くの研究者が地道に研究して行くこと、すなわち、若い医師が、少なくともその気力の乗った一時期を、研究の分野に心を込めて携わることが、ひいては医学の進歩に貢献し、生命の解明、病気の解明に繫がる。それも我々医師の社会に対する務めであると思い、一文を寄せた。是非研究の扉を開けてみて下さい。